- Vol.12 メーチェム村の手織布を訪ねて2008/02/24
バーンロムサイのベットカバー、ランチョンマット、エプロンや衣類には、メーチェム村で織られた手織布が使われている。手織布が製品として出来上がり、日 本に届くまでには、織り子が糸からしなやかな布に織り上げ、縫い子が布を縫製し、生活を彩る製品を作る。その間には、デザインや交渉を担当する日本人ス タッフから、出来上がった布を届けてくれるソンテウの運転手まで、実に様々な人の手を借りて、日本にたどり着く。今日はそんなものづくりの中から、手織布 にまつわるお話をお伝えしたいと思う。
母から娘へ 手織技術の伝承

メーチェム村は田んぼととうもろこし畑に囲まれた緑豊かな土地で、村の中心をメーチェム川が流れている。開発が進んでいるチェンマイ市内から南西に100 キロ、車を2時間半走らせたところに、この村はある。都会のビル街から来た人なら、その穏やかな景色にため息が漏れてしまうことだろう。バーンロムサイの 使用している手織布は、織り子さんである、カンマルアンおばさんとその娘であるアノンさん、そしてオンシーおばさんの手によって織られている。メーチェム 村は、昔から手織工芸のさかんな地域で、タイ政府もこの伝統を次世代に伝えるために、手織を教える学校を創るなど、積極的に取り組んできた。カンマルアン おばさんもこの学校で織りを教えていたことがあるという。しかし、時代の流れとともに、若者が村の外に働きに出るのを止めるのは難しく、手織技術の引継ぎ 手は、年々少なくなっている。アノンさんは、母親であるカンマルアンおばさんから織りの技術を学んだ織り子の一人だ。母親から娘へ、自然な形で手織の技術 が伝えられた、とてもよい例だ。
手織布ができるまで

バーンロムサイとメイチェム村との出会いは、およそ3年前に遡る。作りたい布の寸法を大工さんと相談し、織り機を作るところから始めたのだ。こうして始 まったバーンロムサイの織り。「こういう布がほしい」とデザインするのは日本人。そのオーダーを受けて布を織るのはタイ人。ここでコミュニケーションの難 しさにぶつかる。新しいオーダーが入る度に、日本人スタッフは、微妙なニュアンスに悪戦苦闘しながら、タイ語で一生懸命に伝える。しかし、一度で思い通り の布に仕上がることは、まず、ない。「あれほど細かく糸の指定もしたのにー!サイズやデザインも打ち合わせたのにー!」という歴代スタッフの声が今にも聞 こえてきそうだ。熟練した腕を持つカンマルアンおばさんとでさえ、希望通りの布を仕上げるには、布の仕上がりにがっかりしたり、時には条件や納期のことで けんかをしたり、そしてやっと思い通りの布に仕上がったときには、手を取りあって喜び合ったり。そんな試行錯誤のなかで生まれた布たちは、今は安定して バーンロムサイの人気商品を支えてくれている。
タイ人の温かさとタンブン
私が初めてメーチェムを訪れたこの日は、お寺の行事の前日だった。どの家でも、お寺にお供えするためのお飾りやお菓子を作ったりしていた。織り子の一人、 オンシーさんの家を訪れると、ちょうどカノムジョ(ココナッツの餅団子)を作っているところ。外側はカオニャオ(もち米)をつぶして団子状にし、砂糖を加 えたもの。餡には、ココナッツを千切りにして、砂糖と一緒に煮詰めたもの。これをお団子の中に入れて丸め、バナナの葉に包んで蒸し器で蒸す。ほんのりした 甘さのカノムジョはもちもちした食感で、ついつい手が止まらない。

蒸したてのカノムジョをつまみながら「今日は織りはしないの?」と尋ねると、「明日はお寺にタンブンをしにいく日だから、今日と明日はどこの家も仕事はし ないのよ。」とオンシーさん。なるほど、織り機を見ても、布は掛かっていない。タンブンとは、タイではよく聞く単語だが、どういう意味なのだろう。タイ人 に尋ねてみると、こんな答えが返ってきた。「タンブンは、自分以外の人を幸せにするために、良いことをするという意味なんだよ。それは、お寺にお金や食べ 物を寄付することだったり、誰かのお手伝いをすることだったり、バーンロムサイの子どもたちを愛することも、タンブンになるんだよ。たくさんタンブンをし た人は、来世で、身体も丈夫、心も健やか、外見もきれいな姿で生まれ変わることができると信じられているの。」今まで出会ったタイ人が心優しく、世話好き なのも、なるほど、ここに原点があるのかもしれない。
織りのリズム

カンマルアンおばさんの家を訪ねると、やはりお休みだけに、ここでも織り機に布は掛かっていなかった。「布を織っているところを見てみたいんだけ ど・・・。」というと、次の日のタンブンの準備で忙しいはずのカンマルアンおばさん、ふたつ返事で「いいわよー。ちょっと待っててね。」と言って、家の中 から織り途中の布を持ってきてくれた。布を織り機に繋げる作業は、一人ではできない大変な作業。娘のアノンさんも登場し、二人がかりで布を設置する。この ときカンマルアンおばさんが織っていたのは、ベージュ、オリーブ、赤の落ち着いたチェック柄の布。1センチ織るごとに、横糸の色を替え、少しずつ布が織ら れていく。その手さばきは素早く、迷いがない。「ようこ(日本人スタッフ)は、布をゆっくりゆっくり織ってねーと言うんだよ。でもゆっくりは織れないんだ よね。織りにはリズムがあるからね。」と笑いながら話すカンマルアンおばさん。日本人としては、織りキズを作らないように慎重に、丁寧に織ってねと伝えた かったことが、本当に速さとして「ゆっくり織ってほしい」と受け取ってしまったカンマルアンおばさん。こんなちょっとした言葉の言い回しでも、タイと日 本、ふたつの文化の違いを感じてしまう。それゆえ、同じ方向を向いてものを作り続けるという難しさと、スタッフの苦労が垣間見られた瞬間である。
カンマルアンおばさんの暮らし
カンマルアンおばさんの家の近くには、小川が流れている。カンマルアンおばさんの毎日は、この小川をイカダで渡ることから始まる。村の人々にとっては、こ のイカダが小川を渡る橋代わりとなっているのだ。川を渡るとそこには子どもの背丈に追いつくほどの草が生い茂り、水牛が草を食むのどかな光景が広がってい る。カンマルアンおばさんはこの日の朝ごはんとなるキノコや雑草をここで採る。一回り歩くだけで、籠いっぱいに食べられる雑草やキノコが採れるのだから、 ここはまさに天然のスーパーマーケットだ。こうして調達した新鮮な食材と豚肉のおかず、カオニャオ(もち米)で朝ごはんを終えると、娘のアノンさんと共に 織りに取り掛かる。「一日どれくらい仕事をするの?」と聞くと、「日によって違うけど、だいたい朝の9時頃から夕方の6時頃まで、ずっと布を織り続けているね。」とカンマルアンおばさん。

月に一度、日本人スタッフが打合せをかねて布を引き取りに訪れる日には、娘のアノンさんと一緒に朝から美味しいお昼ご飯をこしらえて待っていてくれる。カ ンマルアンおばさんの得意料理は、紫露草の葉っぱの炒め物。月に一度のメーチェム通いが楽しみなのも、カンマルアンおばさんの作る手料理と市場の美味しい ソムタム(パパイヤサラダ)が待っているからこそ。美味しいお昼御飯でエネルギーを充電した後は、布の仕上がりのチェックや新しい布のオーダーなど、カン マルアンおばさんとの格闘が始まるのでした。
手織布を運ぶソンテウの運転手
手織布は、月に一度日本人スタッフが取りに行き、その足で布のオーダーをしてくる。なにしろ片道2時間半の道のりなので、月に一度が限度だ。なので、どう しても出来上がった布をすぐ届けてほしい!という場合は、メーチェムから出ているソンテウ(乗り合いバス)に布も便乗させてもらう。ソンテウは、バーンロ ムサイから車で10分ほどのハンドン市場を通り過ぎる。運転手には、「ハンドン市場に着く前に電話をしてね。そしたら受け取りに行くから。布を道に放置す ることだけはしないでね。」とお願いしてあるのだが、毎回、運転手さんの電話をするタイミングが遅すぎるため、「もうハンドン市場に着いちゃったよ!早く 来て。もう待っていられないよ。」と言って、布をその辺の道端に放置されることが度々あった。ある時は電柱に立てかけられて、ある時は薬屋さんの店先に。 「せっかく織ってもらった布を誰かに盗まれてはたまったものではない!」と、今は極力月に一回のメーチェム通いで布を受け取ることにしているが、どうして も急ぐ場合、そしてソンテウの運転手が待ちきれないような場合には、薬屋さんの店内に預かってもらうことにしている。預かり物を道端に置き去りにするタイ 人の感覚、日本人には一生理解できないかもしれないが、そんなタイ人の鷹揚さには、こちらもキリキリせず、ゆったりした気持ちで向き合うことが、タイで仕 事をしていくコツのようだ。
2008/02 ボランティアスタッフ 伊藤 美和






