- Vol. 34 マヤ 神秘なるカカオを探して -生き残ったテオブロマ-2008/05/28
遥か古代からのカカオの歴史が残るグアテマラ。4度目のグアテマラ訪問は、グアテマラという国を知ってからずっと切望していた南西部「スチテペケス」への旅です。

以前コラムVol.12でもご紹介いたしましたが、「ソコヌスコ」と呼ばれていたメキシコ・チアパス州南部から「スチテペケス」などのグアテマラの太平洋側にかけては、紀元前からカカオが栽培されていた地域にあたります。
カカオの歴史が非常に深いこの辺りはマヤ古典期後期・終末期(AD600~1,000年)に栄えたコツマルワパ文化の中心エリア。メキシコ文化との交流もあったコツマルワパの時代には、既に経済価値を有していたカカオの一大産地であったことが伝えられています。
現在では辺り一面にサトウキビ畑が広がるこの土地には、当時の生活や文化、経済の様子が沢山の石に刻まれている「エル・バウル(El Baul)遺跡」が残っていて、紙すら存在しなかった時代のカカオの姿も、風化に耐えた石彫・石像を通して目と肌で感じることが出来るのです。
今回のグアテマラはその「エル・バウル」の中でもカカオの絵が刻まれた、4号石彫を訪ねる旅からスタートです。
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まずは同行して下さったグアテマラのお父さん・K氏が、念入りにエル・バウルにほど近いホテルで道中の情報を確認。というの も、エル・バウルの遺跡付近はこのところ窃盗団の出現が報告されていて、近くを通りかかる観光客から金品を巻き上げる被害が多発しているからです。無駄な 抵抗をしなければ命は助かるようですが、この国の強盗は銃の保持が当然予想されるので、パニックになり大騒ぎなどしたら生命の保証すら危うい相手です。
遺跡近くのホテルに聞いてみると、遺跡付近を一般車で移動すると狙われる確率が高いとの返答。窃盗団が 出没する前のエル・バウルは遺跡好きの密かな観光スポットとして知られていて、ホテルもその足で宿泊する顧客で賑わっていたそうですが、彼らが観光客を狙 うようになってから客足はめっきり減ったそうです。噂によれば、窃盗団による麻薬の売買も行なわれ始めたとか。
そんな話しを耳にしても、折角ここまで来て簡単に諦めることなどまだまだ出来ません。せめて近くまでと思うものの、遺跡の入り口までは一般車より地元のタ クシーを頼んだ方が賢明だろうという勧めもあり、タクシーで遺跡入り口のミュージアムまで案内してもらうことにしました。
どこまでも続くサトウキビ畑を、一体何年乗っているのかと思うようなグアテマラのおんぼろタクシーで抜けていく道中、今度は 運転手さんに同じ質問をしてみました。「エル・バウルの4号石彫を見に行きたいのですが・・・」。すると運転手のおじさんは、「ミュージアムより先は危険 なので行かない方が良いよ」と、渋い顔をしながら答えました。多分“危険に巻き込まれるなんてまっぴらごめん”の思いが混じっていたのでしょう。
サトウキビ畑から熱帯雨林の森が広がる道を進むと、エル・バウルの小さなミュージアムに辿り着きます。サトウキビの製糖工場の敷地内にある、とても小さな ミュージアム。静まり返った敷地内には灼熱の太陽を遮る屋根と、その下にかつてのエル・バウルの都市とその周辺で発見された石彫・石像が整然と並べられて います。
ゆっくりとこれらを眺めていると、ミュージアムの係員が私達に近づいてきました。そこで今度はこの 係員に、このミュージアムの更に奥の土地にある4号石彫について質問。するとやはり彼からも同じ回答。4号石彫はここより奥にあるが、危険なのでその周辺 には行かない方が賢明とのアドバイスが返ってきました。
地元のグアテマラ人が3人とも「危険」と答えるなんて、滅多に無いこと。大概性格の大らかなグアテマラ人は、2人が「危険」と応えても1人は「大丈夫だろう」と笑って応えるものです。
大丈夫だなんて高をくくり、好奇心で奥に突き進んだ結果“身包み剥がされる”なんて、さすがの私でもたまらない。カカオの古き歴史が刻まれた4号石彫は一 目でいいから見たいけど、さすがに今回は「諦める」という選択肢を選んだ方が良さそうです。悔しい気持ちは残るものの、きっといつかこの辺りの治安が良く なることを願って、ミュージアムを見た後に引き返すことにしました。
世の中にはドラマのような本当の話があるものです。K氏の後日談によると、この数日後に観光客が私達の警戒していた強盗被害にあったようです。慎重派のK氏が事前の聞き込みをしてくれたおかげで危険は回避できましたが、そうでなければ今頃私はどうなっていたことか。
さて、切望していた4号石彫の代わりにこのミュージアムで、少なくとも私の記憶の中では今まで見たことの無い、素敵なカカオの石像に出会いましたのでご紹 介いたします。当時このあたり一帯を治めていたコツマルワパの統治者の石像です。その頭上に一つ置かれた丸い物体と3枚の葉っぱの模様。実にこの物体が 「カカオ」であり、葉の模様は「カカオの葉」を表現しています。
コツマルワパ様式の石彫が作られた頃のマ ヤ、アステカといった時代のカカオは、権力の象徴として地位の高い人々に飲用されていたことが伝えられていますが、この石像はマヤ古典期後期にはカカオが 何らかの価値を有していたことを証明しています。統治者のような地位の高い人がカカオと関連していることを指しているのです。もしかしたら、カカオ豆は当 時の通貨として用いられていたので、その経済的意味を示しているのかも知れません。
また、当時の飲むチョコレートは「血」を意味していたことが一説には伝えられていますが、その血と深く関わりを持つ神への捧げ物「生贄」を決める球技「ペロータ」のゴールとして、石像の頭部にある輪の部分が使用されていたそうです。
「ペロータ」はゴム製のボールを足で蹴り、輪状になった石のゴールの中に通す当時の球技。敗者は「生贄」として神に捧げられ たことが伝えられていて、その生贄が心臓を取り出される前にチョコレートを飲んだとの説も残っています。神聖なる「ペロータ」のゴールが統治者石像の頭部 に造られ、そのゴールとなる輪の前にカカオが飾られているのです。想像してみて下さい、当時のカカオがどれだけの意味を持ち、経済・地位・名誉・生命と密 接な関係にあったかを。
昔のカカオの価値を歴史的観点から証明するこの石像に出会えただけでも、エル・バウルに足を運んだ意味があったように思います。沢山の満足と少しの悔しさを胸に抱え、再び熱帯の木々とサトウキビ畑の間の道を、おんぼろタクシーで引き返すのでした。
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ソコヌスコからスチテペケスを含めたグアテマラ太平洋側一帯は、その昔クリオロ種のカカオが植えられていたと言われていま す。それまでは先住民の文化を支えるカカオ生産地として、またスペインに占拠された16世紀以降はスペイン王室にも献上された良質カカオの生産地としてそ の名を馳せていました。
ところが何度かお話しした通り、クリオロ種は病気に弱い品種です。また生産性も低い ため、16世紀後半には生産性の高いエクアドルやベネズエラのカカオがこの地にもたらされました。更にヨーロッパからの疫病が流行し、それに感染したカカ オ農民が命を落として激減したと伝えられており、その結果労働力を失い荒廃したこの地域からクリオロ種はほぼ姿を消したと考えられています。
実際スチテペケスの地域に足を運んでみると、どこにもクリオロ種らしい木は見当たりません。現地の栽培者は皆口を揃えて「これはクリオ-リョ(クリオロ) のカカオだ」と言いますが、“クリオロ”とはこちらの解釈では“地元の”を意味しているので、彼らが語る“クリオロ”とは品種を意味するのではなく、以前 からこの場所に植えてある地場産カカオを指しているのです。
カカオの栽培地域に行き、ざっと目を通すと剪定 のされていないカカオの木がうっそうと生い茂っているものも頻繁にみかけます。枝が伸びきっていて、実も小さい。収穫後のカカオ豆の醗酵や乾燥方法も適切 とは言い切れない状態。他の優良カカオ生産国に比べると、残念ながらその栽培レベルの差は歴然です。その類まれなる味わいからスペイン王室に献上されてい たというスチテペケスのカカオ。「栄枯衰退」の言葉の通り、繁栄を極めたこの地のカカオは“かつて”のものとなっていました。
そんな中、古くからカカオの陰木として利用されてきたものが、この地では今尚栽培されています。コラムVol.14・Vol.27でもご紹介した「パタシュテ」です。
「パタシュテ」の植物学上の名称は「テオブロマ・ビコロール(Theobroma bicolor)」。カカオのそれは「テオブロマ・カカオ」ですから、カカオとは親戚関係にあたります。昔はチョコレートにおける高価な「カカオ」の混ぜ ものとして「パタシュテ」の種は利用されていたり、あるいは飲み物として利用されていたそうです。
上の写真を見比べて見ると、「パタシュテ」も「カカオ」のようにラグビーボール状を呈していて、何となく両者様相が似ているように思われます。大きな違い はその表面。「カカオ」はプリンスメロンのようにツルンとしたものや、ワニ皮のようにボコボコしたものなどがありますが、基本的に筋部以外は平らか凸状。 それに対し「パタシュテ」はヘチマを連想させるような、凹状の表面を有しています。昔映画で見たエイリアンの卵を連想するのは私だけでしょうか。
さて、「カカオ」と同じく「パタシュテ」もこの実の中の“種”を炒って食します。クリオロ種のカカオのように胚乳が白色の種 は、マルコナアーモンドのようなほんのり丸みを持った形状で、焙煎すると甘い芳香を放ちます。カカオ豆のような醗酵は不必要。熟した実の果肉から種を取り 出したら、そのまま乾燥させるか、軽く水洗いするだけですのでカカオ豆より手間がかからないことが特徴です。カカオ豆同様に種子の部分を食するので、栄養 価が期待できます。昔は大切な栄養源として用いられたのではないでしょうか?
この辺りの方の話しによれば、 沢山の「カカオ」が病気で死んでしまった時代、家庭菜園用と兼用して陰木に利用されていた「パタシュテ」は病気に強かったためか生き残り、それが今日の 「パタシュテ」に繋がっているそうです。ただ「パタシュテ」は「カカオ」のように食文化として深く根付いてはいないので、現在「パタシュテ」が残っている スチテペケス周辺も、その栽培規模は各農家が1~2本所有している程度。本当に極僅かです。
そんな中、この 「パタシュテ」を本格的に栽培して輸出品目にまで育てようという動きが出てまいりました。プロジェクト名は「Planta Para La Produccion de Chocolate Soluble(溶解性チョコレートの生産プラント)」。総統括はサン・アントニオの町に事務所を構えるエストラダ氏。それを支えるのが植物学者のメヒカ ノ・V氏。
「カカオ」は先の石像が伝えるように、この地の歴史と文化を代表する農産物です。ところが現代の グアテマラ「カカオ」は世界の国際競争に勝ち抜いていけるような品質も生産量も持ち合わせておりません。一部に希少価値の高い“クリオロ種”のカカオが 残っているのは事実ですが、余りにも生産量が少なすぎる。
「カカオ」では国際市場に太刀打ち出来ない。ならば他国には無い商品で市場に打ち出そうと考えられたのが、このパタシュテ栽培プロジェクトです。(しかし何故かプロジェクト名は“溶解性チョコレート・・・”)
プロジェクトの第一歩には、まず栽培の現状を変える必要が有ります。各農家が所有する「パタシュテ」をかき集める程度では、年間の生産量が余りにも少なす ぎ、商品としては成り立ちません。本格的に土地を開墾し、パタシュテ専用農地を作る必要が有ります。パタシュテの苗木を植えてから実がなるまでには約6年 の歳月を要します。その間、商品が無いことにはお金が一銭も入ってきません。
お金のかかる話しです。経済的 に豊かではないこの地域では、自分たちだけでこういった費用を賄うことは到底出来ません。プロジェクト自体はとても興味深く、彼らの自立を図るもの。古来 より育ててきた「パタシュテ」を国際商品に育てようと言うのですから。そこでエストラダ氏が様々な機関に協力を呼びかけた結果、現在このプロジェクトには 世界銀行からの融資が決まり、別の機関が専門家派遣の検討をし始めました。
ところで「パタシュテ」の種は、焙煎してナッツのように食べる他にどんな用途があるのでしょうか。前述でも触れたように、実は遥かマヤやアステカの時代から、パタシュテはカカオとブレンドしたチョコレートとして飲用されてきました。
エストラダ氏は現在僅かながらのパタシュテを集めて、そのパタシュテとカカオをブレンドしたドリンクを自社経営の喫茶店で提供しています。甘い香りの漂 う、ミルク入りの白いテオブロマドリンク。カカオの苦味はほぼ感じることなく、ナッツのようなコクのある美味しさと、グアテマラらしいしっかりとした甘さ が堪能できます。冷たくして飲むのが特徴。確かにこれは今までに無かった「チョコレート」*1の美味しさです。
この「パタシュテ」を国際商品として育てるなら、栽培だけでなくその使用用途も同時に提案出来るようにしていかなければなりません。グアテマラ人が苦手と する「マーケティング」の強化です。そもそも「パタシュテ」を知っている人が世界でどれほどいるでしょうか?生産国グアテマラですら、限られた人々にしか 知られていない代物です。マーケティングの一歩目は、まずその認知度を高めること。効果的な戦略を組まないと、折角のプロジェクトが大失敗に繋がりかねま せん。
最低でもあと6年、軌道に乗るまではきっと10年。そのころもう一度、生き残ったテオブロマ「パタシュテ」の復活劇を紹介出来ればと願っております。
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スチテペケスの地域には沢山のマヤ先住民の末裔が暮らしています。グアテマラ最大の湖・アティトラン湖からその昔に移民して きたツトゥヒル族(Tz’utujil族)です。彼らの生活はとても質素で、経済的に豊かとは言いがたいものもありますが、カカオを育て、チョコレートに 加工して飲む文化は、今尚生活の根として残っています。
そんなマヤの女性たちを支援しようという動きが各所で見られます。今回その活動家の一人、ヒロンさんと彼の奥様を訪ねました。
伝統的なチョコレートを作る他、ここでもマヤの人々は自分たちが所有する「パタシュテ」を育てていて、その商品化や有効利用を模索しています。彼らの先祖 は「パタシュテ」と「カカオ」とともに生きてきた人々。他のどの民族より本当はこの2つのことを熟知していたはずです。しかし「カカオ」は既に彼らの手を 離れ、国際農産物として世界中を旅し、結果カカオ文化の無かった国にその地位の全てを譲渡することになってしまったのです。
グアテマラ内戦の際に悲惨なほど迫害を受けていたグアテマラ・マヤの先住民末裔。今でも彼らの農地所有に関しては、様々な問題が置かれています。
彼らがマヤ人としての誇りと伝統を守りつつ生き残る手段として、「パタシュテ」はマヤを語る最後のカードなのかもしれません。
2008/05/28
* 1・・・その昔はカカオとパタシュテをブレンドして「チョコレート」と認識されていたものは、現代のチョコレート規格状は「チョコレート」と呼ぶことが出来ない場合が有ります。






