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可可豆見聞録

Vol. 24 南緯4°のカカオ パプアニューギニアへ 12007/07/15

 満月の光と満天の星達。星空は澄んだ空気の中で清らかに瞬きを放つ。朝4時半、日本なら既に空が明ける頃ですが、ポートモレスビーの空港はまだ暗闇と静寂の中に包まれていました。

 

 7月初旬。向かった先は赤道に程近い島国「パプアニューギニア」。日本からは土曜日夜発のニューギニア航空のフライトに搭乗し6時間半の旅。成田を夜に出て機内でうとうとしていると、首都ポートモレスビーに翌早朝到着というスケジュールです。

 “最後の楽園”なんて言葉で表現されることの多いパプアニューギニア。起伏に富んだ土地と点在する島々から成り立つため、一口で表現するのはなかなか難 しい国です。海岸線沿いの熱帯気候もあれば、高地の涼しい気候も。そして少数民族・部族がそれぞれの地域にいて、各々の伝統的な生活を守りながら暮らして います。そんな中で何か一つの共通点を見つけるとすれば、ここに住む人々の“のんびり”とした性格でしょうか。

 

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 特に私のいた地域は、海岸線沿いに延びる道路やマーケット脇の木陰にゴザを敷いてマロロ(現地のピジン語で「休憩」の意味)するのが日常の風景。男の人 も、女の人も、おしゃべりしながら“のんびりマロロ”。トラックの荷台に乗って移動なんかしていると、マロロしている人達がこちらに気付いて手を振ってく れます。

 さて今回の旅は、首都ポートモレスビーから更に飛行機を乗り継ぎ、北上したニューブリテン島の“ラバウル”に向かいました。南緯4°に位置するラバウル は私達日本人にとても縁の深い場所。1942年1月に日本軍が初上陸した第二次世界大戦・南太平洋戦線の拠点であり、連合軍との航空戦をはじめとした激戦 が繰り広げられた場所でもありました。パプアニューギニアで命を落とした日本兵の数はおよそ13万人。日本に帰ることの出来なかった兵士の、その多くの魂 が日本から南に約5,000km離れたここラバウルの地に眠っているのです。

 ラバウルの街を見下ろす丘にはその人々を称える慰霊碑が、また街中には当時の防空壕が湿った土の匂いの空気とともにそのままの形を残しています。厚いコ ンクリートの壁に覆われた防空壕、その中に詰まる生死をかけた人々の思い・・・受け取りきれない思いが、今もその壁に、床にと宿ったまま。ラバウルの街か ら隣の街へ続く道中では、切り崩した山肌に当時の日本軍が作った洞窟を幾つも見ることが出来ます。

 日本にいると、特に私達戦後世代には遠い話のように聞こえる戦争の爪跡が、ここではまるでつい最近までの現実のように色濃く残っているのです。

 そんな戦跡巡礼を含め様々な目的でこのラバウルを訪れた訳ですが、今回はその中で私がお世話になった老舗のNGO法人「オイスカ(OISCA)」と、そのスタッフと一緒に作ったチョコレートについてご紹介いたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 今回この地を訪れるきっかけとなったのは、NGO法人について調べていたときのことでした。6月、偶然にもパプアニューギニアにカカオ農園を持つNGO が存在することを知り、直ぐにここの東京本部に連絡。それが今回訪れた「オイスカ」でした。丁度現地ではカカオのシーズンに入ったということを耳にし、直 ぐにスケジュールを調整。こんな急な話にも関わらず運良く現地とスケジュールを合わせることができ、6月最終土曜日に成田を飛び立ちました。

 オイスカは貧困に悩むアジアの人たちのため、1961年農業改良普及にその前身が活動を始めた老舗のNGO。自然破壊や貧困、民族闘争などの問題を抱え るアジア・ポリネシアの国々を中心とした世界29カ国以上で「農業開発」「環境保全」「人材育成」「普及啓発」の活動に携わっています。

 世界中にあるオイスカのセンターの中で、私が訪れたのはパプアニューギニアのセンター(以下PGNセンター)。深い森林に包まれたセンター内では、パプアニューギニアの地で栽培不可能と思われていた稲作などの「定置型農業」の研修・指導が行なわれています。

 国土の80%が森林とも言われる肥沃な大地のパプアニューギニアでは“ヤム芋”や“タロ芋”といった芋類を中心とした農作物が栽培されているのですが、 それまで用いられてきた「焼畑農法」は森を焼いては田畑にし、その土地が痩せてきたらまた次の森を焼いて農地を確保するため、結果的にこの豊かな森林の減 少を招きます。それを改善するために、稲作を中心とした「定置型農業」の普及をこのセンターで行なっているのです。

 こういった働きは単に環境保全のためだけでなく、不安定な農業から安定型の農業へ移ることを意味し、ひいては農民の食料確保の安定化を意味します。パプ アニューギニアは赤道直下の島国。多くのものを海外からの輸入品に頼ることが多いため、実は非常に物価が高く、そういう中で自給出来る作物を増やしていく ことは生活や栄養を支える大きな糧となります。

 このセンターで研修している人の多くが、まだ20代の男の子や女の子。日本なら遊びたい盛りの年頃ですが、彼らは次の担い手として日々このセンターで みっちり研修を受けています。私がセンターを訪れたときは丁度夏休みだったので、研修生は少なくセンターもお休みムードになっていましたが、普段は100 名を越える大所帯で朝早くから研修が始まり、厳しい指導が夕方遅くまで続きます。

 そうやって研修を終えた卒業生は、自分の土地に帰り農業リーダーとして指導したり、OBとしてセンターの次の後輩を育てたりするそうです。一部の卒業生 は日本で更なる農業技術の勉強をする機会を受けられるため、在学生は農業だけでなく、日本語の勉強にも余念が有りません。朝センターで誰に会っても「オハ ヨウゴザイマス」と日本語で挨拶を受けます。

 そんな農業の研修・普及を支えるオイスカPNGの中には、何と100haもの広大なカカオ農園が存在します。センターが位置するこのあたりは、パプアニューギニアの中でも最もカカオ栽培が盛んな地域。農民の殆どがカカオ栽培に従事していると言っても過言では有りません。

 

 もともとパプアニューギニアにはカカオは無く、カリブ海系統のものがここにもたらされてから栽培が始まったのですが、あたかもずっと昔からカカオが君臨 しているかのように、どの道路を走ってもあちらこちらでカカオが見られます。良質なものが多いのですが、その分病気にかかりやすいのが今この地域が抱える カカオの大きな問題です。

 

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 パプアニューギニアのカカオは大規模なカカオプランテーションで生産されているものより、小農家が生産するものの方が圧倒的に多く見られます。ここ数年では量にしてその差9倍。

 小農家であっても、プランテーションであっても、カカオ栽培の基本は国営のココアボードによって指導されているのですが、各農家でカカオを収穫した場 合、一般的にはその実と豆を醗酵、乾燥させたものを近所のカカオ豆集荷場に売りに行きます。半年かけて栽培したカカオ豆はここでやっと現金に引き換えられ ます。この買い取り価格がカカオ豆の国際相場や、その年の天候、国全体での出来高などに左右されるので、同じものを同じように作っていても時期によって買 い取られる価格が変動します。高いときなら良いですが、安いときは大変です。

 またこういったシステムですので、集められたカカオ豆を良く見ると農家ごとの微妙な違い(特に香りなど)が見られます。どの農作物も「農業」である限り避けられない現実ですが、価格も味も全てが自分の力だけではどうにもならないのが、カカオ産業の痛いところです。

 

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 ちょっと驚くかもしれませんが、こういった小農家の殆どがチョコレートを口にすることは滅多に有りません。というのもカカオ生産国でチョコレートを産業 している国はまだまだ少なく、ここパプアニューギニアも同様に国内にチョコレート工場が無いため、チョコレート・チョコレート菓子はオーストラリアやアジ ア諸国からの輸入品が全てなのです。農民からみて、輸入品=高級品の方程式がほぼ成り立つこの国では、日本のスーパーで売っている安価なオーストラリアの チョコレートも、ちょっと贅沢なお菓子として分類されるのです。

 一体パプアニューギニアのカカオ生産者で、チョコレートを毎日食べられる人なんているのでしょうか?

 そこでオイスカPNGセンターが考えたのは、地カカオを使って農民向けのチョコレートを作ること。自分達が作っているカカオでチョコレートを作ること は、農民への還元にも繋がりますし、カカオ豆がどんな風にしてチョコレートになるのかを知ることで、農業への意識改革にも繋がります。

 今回の滞在ではこのプロジェクトに賛同し、まずは手始めにオイスカスタッフと一緒に手作りチョコレート作りを行なってみることにしました。

 

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c-24-05.jpg オイスカ版チョコレート教室は実のところ今回で2回目。以前に一度スタッフで作ったそうなのですが、作り終わるまでに6時間以上かかったとのことより、今回はもう少し時間をカットする方法で行いました。作り方はいたってトラディショナル。
 
   1.  カカオ豆を中華鍋で焙煎。
      豆がふっくら炒り上がるように低温・中時間。
   2. カカオ豆の皮を、手剥きで取り除く。
   3. 皮を取り除いたカカオ豆を、手動のグラインダー(粉挽き機)で挽く。
   4. 砂糖(ミルクチョコは粉ミルクも)を加えて更に挽く。
   5. すり鉢に挽いたものを入れ、湯銭で温めながら良く練る。
   6. 油分が出てきたら溶かしたココアバターを少量ずつ加える。
   7. 最後に温度調整(テンパリング)をして、型に流して冷やす。
 

 ビターチョコ、ミルクチョコをそれぞれ500gずつ作り始め4時間後。この日は停電で扇風機すら使えなかったので、灼熱の太陽の下、非常用の氷などを駆 使しながら何とか板チョコレートが完成しました。少しザラっとしますが、炒りたてのカカオ豆の香ばしい香りが鼻をくすぐり、程好い甘さが味覚を刺激する美 味しいチョコレートです。

 初めて体験するチョコレート作りを、汗だくになりながらも皆楽しんだ様子。今回は男性中心のチョコレート教室でしたが、こちらの男性陣は驚くほど甘いも のが大好き。途中「味見も立派な仕事ですよ」と言ったところ、笑顔で完成前のチョコレートをつまみ始めるじゃないですか。子供のように、本当においしそう につまみ食いを楽しんでいるんです。

 こうやって作ったチョコレートは生活に直ぐ役立つわけでは無いのですが、この味を知っている人たちは次のカカオを育てるときに、いつもより少し多めの愛 着を持って育ててくれるでしょうし、「チョコレート」という彼らからは遠く離れた産業を少し身近に感じてくれるのだと思います。何より“こんなに美味しい ものを作っているんだ”ということを知るだけで、農業への大きな自身や喜びに繋がるでしょう。

 「米」は以前この国で栽培不可能と思われていた遠い世界の作物だったのに、今は栽培が出来るようになりました。その事例を挙げれば、「チョコレート」もいつかは手に届く商品として国内で製造されるかもしれません。

 チョコレートを製造するには多額の設備投資が必要です。だからカカオ生産を主とする経済後進国ではそれが難しいのは実情。またこういった国にチョコレー トを輸出している多国籍チョコレート企業や、カカオ豆を輸出している業者は通常カカオ生産国が自国でチョコレートを作る動きを推奨しないことが多々有りま す。

 でも少し見る方向を変えて、とてもシンプルなチョコレートで良いから、その国のカカオ農民が味わえるチョコレートが有っても良いのではないでしょうか?

 

 

 

 今回、ここでオイスカのスタッフとチョコレートを作ったことは、大きな成果です。
 農業は生産の意欲があってこそ発展します。綺麗事かも知れませんが、ここラバウルのカカオで作った地元のチョコレートを口にして農民の生産意欲が向上す れば、品質がより向上する可能性も有りますし、それは結果的に世界の多くのチョコレートメーカーが喜んでも良いことではないでしょうか。


* 財団法人OISCA http://oisca.org/indexj.htm
* ニューギニア航空 http://www.air-niugini.co.jp/

2007/07/15

 
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