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可可豆見聞録

Vol. 13 マヤ 神秘なるカカオを探して -カカオに残るしこり-2006/07/20

 土釜に薪をくべ、じっくりとカカオ豆を炒る。赤く揺らめく炎の上で次第に膨らみを増すカカオ豆の姿は、マヤの時代から変わらない素朴な焙煎方法であるけれども、灼熱の太陽の下、緑に囲まれたマヤの国では、それがとても尊いものに感じられます。

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 このカカオの焙煎も、今回のグアテマラの調査も、すべては公私共にサポートしてくれた大切な「パートナー」が居たからこそ実現したことでした。一年前、 グアテマラへの再渡航を心に決めたものの、いざ現地カカオを調べようと思っても日本では限られた情報しか入手出来ず、そしてそれは一人では余りにも無力な 試みでした。

 

 

 そんな私に手を貸してくれたのが、キリグア村に 住む日本人女性・真幸さんでした。彼女は昨年この村に開いた宿のオーナーで、その第一号の宿泊客が私でした。出会いとは不思議なもので、真幸さんはチョコ レートをこよなく愛する上に、この地のカカオで自家製チョコレートや、チョコレート石鹸を作る術を持っていました。前回ご紹介した書籍「チョコレートの歴 史」のスペイン語版も完全に読破して記憶されている。間違いなく、チョコレート的ロハス(LOHAS)の最先端を歩まれている方です。そんなカカオ・チョ コレートが繋ぐ縁で、遠く離れた日本の私が発起したこの企画に快く賛同して下さいました。
 スペイン語を勉強中の私にとって、語学が堪能でグアテマラ在住の真幸さんは、身に余るほどの強力な助人です。

 

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 約一年の歳月をかけて真幸さんが探して下さったもう一人のパートナーが、グアテマラ人のネルソンさん。
 キリスト教・カトリックの団体に所属するネルソンさんは、日々マヤの村々を周り、彼らの生活用水や農業、保健業務といった生きるために重要な様々なこと を支援・指導しています。こういった団体の活動を今回始めて目のあたりにしたのですが、「生」に対して直接的に支援することの大切さを身を持って感じたと ともに、これまで金銭や物品の支援だけで「何か」をした気になっていた自分を、少し恥ずかしく思いました。

 ネルソンさんの協力で、マヤの方々が住むカカオの村を直接案内して頂けることになったので、今回の調査は実際のカカオを確認することから始めました。百 聞は一見にしかず。この地にかつてのマヤ・カカオの遺伝子が残っているかどうか、その痕跡を調べることが本調査の最大の目的です。

 

■ ■ ■
 

 -マヤの村々- 先ほどから用いているこの言葉は、このコラム内におけるマヤ集落の総称と捉えて下さい。

 

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 かつてマヤの文明が栄えた地で、今尚、その爪痕を色濃く残しているのがグアテマラです。この国の人口の約52%は、「インディヘナ」と呼ばれるマヤ先住民族の方々で、広域にわたり「20以上のマヤ言語」の地域が広がっています。

 グアテマラ・シティーからキリグア村へ向かう道は、この地域から外れているためインディヘナの方にお会いすることは余り無いのですが、逆にシティーから北や西に向かう道中では、沢山のインディヘナの方を見かけます。
 彼らは日本人と同じ「モンゴロイド」であるそうで、そのためか、目元に独特の“哀愁”が感じられ、どこか共感を覚える節があります。

 冒頭でもお話した通り、グアテマラの公用語は「スペイン語」ですが、これらの地域ではマヤの言葉で話されることが殆どです。「マヤ語」とは、数あるマヤ 系言語の総称で、それは更に「キチェ語」「マム語」「カクチケル語」等の民族語に分かれます。日本の方言の場合、相手の方言について推測の付くものも多く 有りますが、マヤの民族語は互いの言葉相互理解が、方言と異なり少し難しいようです。加えて各地域の民族衣装、チョコレートの作り方までもが、彼らの世界 では微妙に異なります。

 

今回私達が訪れたのはこのマヤ語地域でしたので、村の人々と話しをするときは、

日本語 ⇔ スペイン語 ⇔ マヤ語

の2重通訳の必要があることが多々有りました。真幸さんとネルソンさんを通して、私の日本語がマヤ語に変わった時には、何を言っているのか全く分からない状態です。

 

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 先に申し上げたネルソンさんの仕事は、こういったマヤ地域の村を回って生活支援・指導をすることです。言い換えれば、マヤ系の民族の方が住む先住民地域 は、多くの伝統が息づいている反面、経済的に所得の低い村が存在していることに繋がります。“ケッァルテナンゴ”、“ウエウエテナンゴ”、“コバン”と いった、大きな都市や町も有りますが、都市に住む富裕層とは遥かに格差のある生活が、その郊外に数多く存在しているのが現状です。近年まで先住民が政治的 弾圧を受け、政府とゲリラが対立していた歴史を持ち、その余波を今も引きずるこの国では、経済的に苦しい生活を送っている人々が数多く存在するのです。

 

 

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先住民を取り巻くその歴史は、彼らのカカオについても何某かの影響を与えていたのではないかと、私は考えます。19世紀後半、当時の大統領はヨーロッパで 広まっていた「コーヒー」の栽培に着手し、ドイツ・イギリスから資本を導入してこの国の主要産業にまで育てました。このとき先住民は強制的に土地を追い出 され、また廉価な労働力として使役させられた過去を持っています。19世紀末には米国資本で大規模な「バナナ」栽培も始まり、20世紀にはコーヒーに並ぶ 輸出農産物にまで発展しました。丁度この頃、ヨーロッパ各国の植民地であった中央アフリカ諸国ではカカオ栽培が始まり、カカオマーケットは中南米から中央 アフリカへと栽培主導権が移り始めます。既に沈黙の中にあったグアテマラのカカオ栽培は、これらを背景にして、更に奥へと身を潜めてしまったのではないで しょうか?

 

 グアテマラのカカオ生産の現状は、残念ながら世界的に見て非発展国のグループに入ります。一口にカカオ生産といっても様々な方法があり、小農家が所有地 の中で作るものもあれば、平らな土地を開墾して作る大規模なプランテーションもあります。このあたりは、一般の農業と同じように考えて頂いて宜しいでしょ う。当然何もしなくてもカカオは育ちますが、手を加えることでより良くなることも多く、接木をして収穫量を増やす工夫、以前ご紹介したミロ農園のように古い木を伐採して再生させる、あるいは苗木を計画的に植えて栽培することも、生産においては重要なことです。

 

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カカオ豆が主要貿易品目として存在している国や地域は、いかにして品質の良いカカオを効率的に多く作るか・・・ということを常に考えるものですが、今回訪 問した小さな村々では、植えてあるカカオの木が実ったら、(醗酵の概念が無いので)実と種を乾燥させて、「行商人」に買い取ってもらうという地域商売が殆 どです。カカオの輸出が盛んな国では、小農家のカカオを国際相場と品質に準じて買い取る「仲買人」がいることが多いのですが、グアテマラの場合、国内、特 に西部地域で自家用消費されることが殆どであるため、カカオ豆の選別も無視した十把一絡げの取引が行われるようです。
 火山を含めた山の多い地形の関係からか、山中にカカオ畑がある地域も多く、中には山間のジャングルのような土地にカカオが実っている村も有ります。

 前述の歴史背景や、こうした国土・地形の影響もあってか、現在グアテマラのカカオ生産量は、世界カカオ生産量の0.08~0.09%程度しか占めており ません。国内需要と供給のバランスも均衡ではなく、近年では1999年、2000年、2003年に隣国からカカオ豆を輸入して、国内需要を賄っている程で す。

 

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*1 ICCO Press releases issued Quarterly Bulletin of Cocoa Market 19/Nov/2004 参考
*2 サン・カルロス大学 DIAGNOSTICO SOCIOECONOMICO,
   POTENCIALIDADES PRODUCTIVAS Y  PROPUESTAS DE INVERSION 参考
*3 ICCO Quarterly Bulletin of Cocoa Statistics, 29(3) 2002-3 参考
* 上記以外のカカオ生産国のデーターは、本表には含めず
* 2001/2002、並びに2002/2003のカカオ生産量に関してはインドネシアが世界第2位の生産国、
  その前後年及び現在においてはガーナが世界第2位。(ICCO資料参考)

 今、目の前で見ている現状が、昔ながらのカカオ生産であるならば、この国は世界のカカオ競争からは一歩も二歩も退いた、かつての国のままであるように映 ります。ただ、アフリカ・サントメ島のカカオが、20世紀初頭の脚光を取り戻し、今再び注目されつつあるように、この国のカカオも歴史とともに光を浴びる 時が、もう一度やってくるような気がしてなりません。

 

■ ■ ■

 

 

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そんな中で出会った村が「チビテ(chivite)村」でした。どの地域か・・・ということは、ここでは控えさせて頂きます。

 「チビテ」とは、この地域のマヤの言葉で「森」を指します。ですから「チビテ村」とは「森の村」の意味。その名の通り、村は山間の渓谷のような場所に位 置し、その間を水流豊かな川がゆったりと流れていきます。そのため、近くの道路からはつり橋を渡って村まで行かなくてはなりません。

 

 

 

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 少し奥まで進むと川の音さえ届かない、緑の中に佇む小さな村です。渓谷特有の暑さなのか、はたまた風がピタリと止んでいるせいか、むせる様な熱気の中、 ジリっとした太陽が知らぬ間に肌を焦がしていきます。緑を育む太陽エネルギーが、燦燦と大地に降り注ぎ、時折遮られる木陰に眩しい光を反射させていまし た。

 私達が訪れた日は、丁度トウモロコシの種を蒔く儀式の前日でした。トウモロコシは前回のコラムで もお話した通り、古代マヤから継がれる大切な命の糧。伝統的な儀式の残るこの村では、種を蒔く前、満月の夜(「生」のエネルギーの宿る夜)にトウモロコシ の神に祈りを捧げるのだそうです。スペイン人がメソアメリカを侵略した際の強制改宗の余波で、祭壇にはキリストが、精神の中にはマヤの神が宿る、いわば混 在した宗教のかたちでは有りますが、このような儀式が残っていることに衝撃を受けました。

 こうした宗教の混在、あるいは融合は、現代マヤの世界では多く見られることのようで、それはマヤの精神の深さ故なのか、カトリックの寛大さ故なのかは分かりかねますが、これが現代マヤの象徴で有ることに変わりは有りません。

 

 

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 カカオにもマヤの精神が残っているようです。ミロ農園の 時にもお話ししたとおり、カカオの木は古くなると収穫量が落ちるので、古い枝を切り落として「再生」させることがあるのですが、この地域では「木がかわい そうだから、枝を切らない」という民族的考えのもと、結実する実が少なくなっても、そのままの自然な形でそっとしておくことがあるそうです。
 実際に樹齢100年を超えていると言われるカカオの木をチビテ村付近で目にしました。収穫のシーズンは過ぎていたためカカオの実そのものは生っていませ んでしたが、親木は枝が伸びきっていて、カカオの花の数が圧倒的に少ない印象。言い換えれば、木の大きさに対して収穫量が少ないであろうと憶測が出来ます。

 

 すべてのマヤ地域においてそういった考えがあるのか、はたまたこの地域の人々がそう考えるのか、その点は分かりかねますが、もしかするとこの国のカカオ豆生産量と何か関係しているものが有るのかもしれません。

 

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 残念ながら、チビテ村のカカオは数品種が存在するものの、完全なクリオロ種では有りませんでしたが、この土地が肥沃でカカオ作りに適しているのか、その カカオ豆は驚くほど大きな粒を持ち合わせていました。サイズだけで判断すれば、国際市場でそれなりの評価を受ける可能性が有ります。ただ、醗酵の概念がや はりこの地域も浸透はしていないため、焙煎したカカオに、私達の良く知るチョコレートの風味はあまり感じられません。

 この村で取れたカカオ豆は、「行商人」が買い取る他、一部は手作りでチョコレートに加工され、村のアピールに役立てています。但しこれは非売品。あくま で村を紹介するための看板商材です。粒が粗く、ざらざらした、中米特有のチョコレート。電気も水道もない、経済的には決して豊かではないであろう、彼らの 生活が詰まったチョコレートでも有ります。

 もしマヤの人々が、今以上に、もっと沢山のカカオをこの地で生産したいと思うことがあれば、それはどこかで伝統的な考え方を変えなければならないことに 繋がるかもしれません。いつの時代、どこの国でもそうですが、「伝統」と「合理性」は共存しないことも有り、それはその時代・人々の受け止め方によって変 化していくものだと思います。

 この地域のカカオを信仰や風習、環境までを一つにまとめて世に送り出す手立てがあれば、「そのままであること」に価値が見出せるのかも知れません。

 調査はまだ続きます。チビテ村にお礼を伝え、次の村へと進みましょう。

 

2006/07/20

 

* 現代マヤと古代マヤの人々では、歩んでいる道が全く異なります。現在のグアテマラにおけるマヤ先住民の人権や、30年以上に及ぶ内戦、97年に武装解除さ れたゲリラの活動等について、様々な書物が出版されています。ご興味ある方は一度ご覧頂くと、またこの地に対する見方の幅が広がるものと存じます。

 
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