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可可豆見聞録

Vol. 12 マヤ 神秘なるカカオを探して 序章2006/06/22

 幻想的な色彩を放つ朝焼けと、風にさざめく木々の声、白む空を合図に、鳥達が一日の始まりを知らせてくれる。久しぶりに感じる自然が懐かしい、一年ぶりの中米・グアテマラです。

c-12-01.jpg 私がグアテマラの再渡航を決めたのは、昨年キリグア村を訪ねたときに、あることが気になったから。それは、「カカオを収穫した後、その果肉を醗酵させない」ということ。

 キリグア村のカカオは、「フォラステロ種」と区分されるタイプのカカオ。“ポリフェノール”に総称される、渋味(収斂味)の素になる成分などが含まれるため、これを減少させる目的も含め、通常は5~7日間のカカオ果肉の醗酵を必要とするのですが、ここではそれを行っていませんでした。

 

 

 

 

 

 

 

  誰に聞いても、その理由を知らない。というより、カカオ果肉を醗酵させる概念が無いようなのです。収穫したカカオ果肉は、ザルに吊るって、水気を切って乾かす。それだけ。

 

カカオについてご存知な方なら、ここでこんな推測が思い浮かぶはず。

もしかするとここに昔、「クリオロ種」のカカオがあった?

 

なぜなら、「クリオロ種」と呼ばれるカカオは、渋味(収斂味)の成分が少なく、香りや風味が繊細なため、醗酵が非常に短い(通常1~3日)からです。白い果肉のベタベタを洗浄し、乾燥させるだけの概念があっても、おかしくは有りません。
 - その昔、クリオロ種が存在していたが、ある時カカオの種類が入れ替わってしまった -
 そんな仮説を立ててみると、様々な可能性が結びつくような気がしてきました。

 

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 グアテマラと言えば、メキシコ南部、ベリーズ、エルサルバドルやホンジュラスの一部とともに、長い間「マヤ文明」が繁栄した国。今でも、国内に存在する熱帯雨林の奥深くに、未調査の遺跡が、その神秘のベールに包まれたまま、ひっそりと眠っています。

 そしてここキリグアは、8世紀中頃よりマヤの衛星都市として栄えた地。当時ここにカカオが存在していたことは、研究により既に明らかになっています。そ れが現在のような「フォラステロ種」ではなく、かつてメキシコ南部・ソコヌスコ、及びグアテマラ太平洋側に存在したと伝えられる「クリオロ種」と、同一の ものであった可能性は否定できません。

 

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 今、チョコレートの世界において、その原料となるカカオ「クリオロ種」は、大変希少価値の高い品種とされています。前回のコラムでも簡単にご紹介しましたが、白い果肉と同調する白い豆の色を呈し、甘く繊細で、芳醇な香りを擁します。加えて世界でわずか1~2%とも言われる極少の生産量。
ところが、その「クリオロ種」が存在したと伝えられるグアテマラの名前を、現在のカカオやチョコレートの世界で耳にすることは、残念ながら殆ど有りません。

 

 

今、この国にマヤの血を受け継ぐカカオはあるのでしょうか?

 そんな小さな疑問がきっかけで、グアテマラ・カカオの調査を始めることになりました。

 

 このテーマでお話しすることは、まだ調査中のことを多分に含みます。推測や憶測も含めてお伝えすること、未確認のものは伏せてお話しすることもあるかも しれませんが、「カカオの歴史」と密着した「マヤの歴史」、今尚色濃く残る「マヤの文化と民族」、グアテマラという国が抱える現状、そして古代カカオ豆へ の浪漫を、少しでも、皆さんにも感じて頂ければ幸いです。

 初回である今回は、この旅に出る前の予備知識として、「マヤ」と「カカオ」の関係を、発掘土器も交えて、簡単にご説明したいと思います。マヤの言語や、 グアテマラの地名など、聞きなれない言葉も沢山出てきますが、写真や図をご覧頂きながら、古代浪漫の世界を楽しんで頂ければと存じます。

 

■ ■ ■
 

 カカオの歴史の始まりは、一説には紀元前2000年前からとも言われておりますが、カカオ文化の創造者とも言えるマヤの世界において、カカオに関する遺跡や土器といった考古学的な証拠が現れ始めたのは、形成期の後期のこと。

 カカオが人々の生活に取り入れられていた可能性まで含めてご説明すると、紀元前1100年頃の更に古い時期に遡りますが、はっきりとした証拠物として は、グアテマラの隣国ベリーズ北部のマヤ最古の遺跡「クエリョ(Cuello)」で発見された、“炭化したカカオ豆”(紀元前400年~1年)になりま す。この発見により、紀元前には既にカカオが生活の中に取り入れられていたことが、確かであろうと推定されています。

 

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 紀元後250年頃から始まるマヤの古典期では、カカオを表す絵文字の描かれた土器類が登場し始めます。例えば、下の写真は300年~600年の間に作ら れた“飲用カカオ(チョコレート・ドリンク)カップ”で、その蓋にはカカオや、9代目の王を表す絵文字、そしてこのカップの所有者と思われる人物の名前が 見られます。
 グアテマラ北部ペテン地方では、発掘されたこの陶器と類似した絵文字の書かれている他のカップも、王家の墓より発見されています。つまり、既にこの頃カカオは“ドリンク”として、王家の人々が口にしていたことを現しています。

 

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 この陶器内に描かれているカカオは、音節文字では「KAKAWA」と表記しますが、マヤの言葉は子音で終わる言葉であって、最後の母音「A」は発音しな いので、この言葉は「カカウ」と読むのが正しいようです。つまり、当時のカカオは「カカオ」ではなく「カカウ」と呼ばれていたことになります。

 グアテマラシティ南方に位置するアマティトラン湖では、山のようなカカオをモチーフとした“香炉の蓋”が発見されています。この土器には、当時メソアメ リカを支配していた大都市・テオティワカンの文化的影響が見られ、その力がこの地にも及んでいたことを表しています。カカオの神を崇拝する儀式に用いられ たと思われる、カカオポッドやカカオに関連したその他の土器や偶像も、この地域から見つかっています。

 

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 マヤの文明が最も花開く古典期・後期(600年~900年)の陶器類や遺跡では、更に様式化されたカカオが登場します。次にご紹介するのは、そのひとつ、マヤ・キチェ族の聖典「ポポル・ヴフ」の一幕を描いた壷です。(キチェ族は、数多く存在するマヤ部族の中のひとつ)

 「ポポル・ヴフ」は、キチェ族におけるマヤ世界の宇宙の創造から、文明の創設、スペイン人による征服・支配までの壮大な歴史を記した、“神話”あるいは “叙情詩”のようなものです。原本は絵文字で書かれていたと言われていますが、今ではそれを見ることは出来ません。現在あるのは、スペイン人による征服後 に、キチェ語をアルファベットで書き写したもののみ。

 

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言い伝えでしか残っていない絵文字の原本ですが、その一幕を陶器類に描き記したものは、古典期・後期のものとして残っています。左の写真の壷に描かれてい るのは、“マヤの冥界で不慮の死を遂げ、邪悪なその主によって切られてしまった「トウモロコシの神」の首が、カカオの木に吊るされた”というシーン。

 ある「ポポル・ヴフ」解説によれば、これは“マヤ人の命の糧”である「トウモロコシの種蒔き」、「生長」、そしてこの後の話に続く「結実」を象徴的に書 き表しているそうです。アルファベットで書き記されたものでは、このカカオが瓢箪(ひょうたん)の木になっているようですが、古典期に書かれたこの壷の一 幕は、カカオの木に変わっています。
 なぜカカオの木に「トウモロコシの神」の首がかけられたのかは、定かでは有りませんが、それだけ日常的に目にする、ありふれたものだったのかも知れませんし、あるいは「生命」に関して特別な意味を持っていたのかもしれません。

 

 マヤ文明と同じ時代を過ごした世界の他の文明において、このようにカカオが歴史叙事詩に現れるものは、他に有りません。“カカオはアフリカ大陸で生まれ た”と思っていらっしゃる方もいらっしゃるかもしれませんが、それは残念ながら、先入観によって生まれた幻想です。カカオの歴史と最も古く、且つ長く接し ていたのはマヤの人々なのですから。

 

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 カカオの加工における技術的に重要な「何か」も、この「ポポル・ヴフ」を聖典とする、マヤ・キチェ族の初期の支配者が考え広めた、との説もあります。そ れが「何か」は明らかになっていませんが、マヤとカカオが古くから密接な関係にあり、その文化が今日のチョコレート文化の土台となっていることは確かで す。

 このマヤ・キチェ族の聖典「ポポル・ヴフ」は非常に奥の深い話しですので、詳しい内容のご紹介はここでは割愛させて頂きますが、マヤの世界に興味を持た れたら、一度読まれることをオススメします。解読や解析は訳者(考古学者)によって幾つかの見解があるので、何冊かご覧になると良いでしょう。

 

 

■ ■ ■

 

 

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 先程の壷ではカカオの木に「トウモロコシの神」を吊るっていましたが、カカオにも神が存在し、それを具現化した土器も存在します。マヤ古典期、及び後古典期のそれが、幾つか発見されています。

 右の2つの写真は、どちらも「カカオの神」を形とったもので、カラダから数個のカカオの実が、まるでカカオの木に結実したかのように付いています。おそらくカカオ生産(栽培)の神であったと思われます。

 「カカオの神」の中でも、特に有名なのが、7~8世紀に起源を持つと言われる「エク・チュアフ(Ek Chuah)」です。
 樹脂に書かれたマヤの古文書の中には、この「エク・チュアフ(Ek Chuah)」が何度も登場する、重要な位置にありました。

 

 「エク・チュアフ」は「カカオの神」以外にも、「商人の神」、「旅行の神」、「戦争の神」と4つの顔を持っていました。一見連動性の無い神々のように見られますが、マヤ言語学者である八杉氏の見解によると、実はそれらの機能が一つに結びつくという解釈が出来るようです。

 

 

  1. カカオは貴重な物資であり、メソアメリカの貴重な通貨であった。
  2. このカカオを求めて、メソアメリカ通商のネットワークが出来て、マヤ文明が発展、繁栄した。
  3. この通商を担った商人が、様々な地域を旅して、遠距離貿易を可能にした。
  4. このカカオの生産地を永続的にコントロールしたという欲求が、カカオ生産地を植民地にする欲求へと繋がっていく。時に商人たちは、その戦いの先兵として戦ったのではないだろうか。
(小学館「チョコレートの博物誌」より一部引用)
 
 

 マヤだけでなく、13世紀からスペイン人が征服する16世紀初頭までメキシコ高原に栄えたアステカ帝国は、その地がカカオ栽培の適さない地であったた め、カカオ栽培可能地域を戦いによって植民地化し、そこから貢納品としてカカオ豆を納めさせていました。カカオ豆は貨幣としても流通し、唯一のものとして この世界を巡っていました。カカオと戦争、商業は、マヤを含めたメソアメリカの世界において、常に背中合わせで存在していたのです。

 「マヤ」や「アステカ」が終わりを告げた、スペインによる征服時代(16世紀以降)も、「カカオの神」はこの地に最後の恩恵を与えていたように思います。
 植民地化によるカカオ消費層の変化と、スペインからの移民により、征服後のメキシコ・チョコレート市場では、急激な原料需要の増加が見られ、一時はエク アドルやベネズエラの(当時としては)安価なカカオ豆の流入も頻繁に見られました。これにより引き起こったカカオ豆市場の飽和においても、ソコヌスコやグ アテマラ太平洋側のカカオは「高級カカオ豆」として、スペイン王室に献上され続けたからです。
 それがいつの日か、時代の流れとともに、そのカカオは次第に歴史上から遠のいてしまいました。

 

あの頃のカカオと、カカオの神はどこに消えたのでしょうか?
そして今、この国にマヤの血を受け継ぐカカオはあるのでしょうか?

 

疑問が頭の中を疼きます。
どうやら“途切れた歴史”と“深い謎解き”に、足を踏み入れてしまったようです。
当分は抜け出せない泥濘の中を、進んでいくしか有りませんね。

 

2006/06/22

 

 

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今回の序章をご覧になり、もう少し深いマヤとカカオの関係についてご興味を持たれた方は、更に詳しく書かれた書籍をご覧になってはいかがでしょうか?
特に、人類学者の“ソフィー・D・コウ”氏と“マイケル・D・コウ”氏が執筆された「チョコレートの歴史」は読み応え充分です。原文は英語ですが、日本語訳も有りますし、他の言語にも訳され、世界中で読まれている、バイブルのような一冊です。
「マヤ」と「カカオ」の関係に焦点を絞るなら、マヤ言語学者 八杉氏の「チョコレートの文化誌」もオススメします。
どちらも専門用語や地名が沢山出てくる書籍なので難しいかも知れませんが、読み返す度に、面白さが深まりますよ。

 
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